2月15日は ピアノ製造技師 である ヘンリー・スタインウェイ 氏の誕生日
(1797年2月15日 – 1871年2月7日)
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スタインウェイ | ベーゼンドルファー | ヤマハの違いが聴こえますか?
1797年、ドイツのブラウンシュヴァイクで、林務官の16番目の息子として生まれ、当時はハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(Heinrich Engelhard Steinweg)と名乗った。当時勃発したナポレオン戦争で父親や兄達が徴用され、その間に飢餓により母親と子供たちは飢え死にし、父親が戻ってきたときに残されたのはハインリヒを含め3人だけだったという。15歳のとき不運にも落雷による火災ですべての家族を失い、ハインリヒは孤児となった。その後、木工場の守衛として孤独な生活を送っていたが、木材の識別と工作能力に長け、後に家具職人として働いた[1]。
ナポレオン戦争が終わる頃、木工技術をいかしてオルガン製作工場で働き始め、その後独立し、自身のオルガン修理工房を持った。オルガンの製作と修理作業の中で、フォルテピアノに強い関心を持ち、以後ピアノ製作を開始した。1836年に、スタインウェイ第一号となるピアノが完成、部品はすべて自分自身で作り上げたという。
アメリカへ移住
1848年にドイツで3月革命が起きるとピアノ製作の仕事が困難になり、1850年、アメリカ合衆国・ニューヨーク市へ一家総出で移住した。ブラウンシュヴァイクにあった会社は、長男のクリスティアン・フリードリッヒ・テオドール・スタインウェイが引き継いだ。移住後は名前をドイツ語名のハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインウェグからヘンリー・エンゲルハード・スタインウェイに改めた[2][3]。
1853年、スタインウェイ・アンド・サンズ社をマンハッタンのヴァリック通りに設立した