12月22日は 作曲家 プッチーニ 氏の誕生日
(1858年12月22日ー1924年11月29日)
『トゥーランドット』より誰も寝てはならぬ
イタリアの作曲家。
<三部作>とよばれる1幕オペラの連作は、1918年に初演された。パリのグラン・ギニョール劇場の様式による恐ろしいエピソードの『外套』、感傷的な悲劇『修道女アンジェリカ』、喜劇というよりは笑劇の『ジャンニ・スキッキ』の3曲からなる。『ジャンニ・スキッキ』は、名高いアリアのためにこのうち最も人気があるのに対して、『外套』は不人気である。『ジャンニ・スキッキ』は、たとえばマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』やレオンカヴァッロの『道化師』、ツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』やコルンゴルトの『ヴィオランタ』などの、他の作曲家の1幕オペラと1夜の連続公演が行われている。
プッチーニはヘビースモーカーとして知られていたが、1923年末に喉頭癌であることが判明。翌1924年、治療のために滞在中のブリュッセルで、手術後に合併症を起こして急死した。最後のオペラ『トゥーランドット』は未完成のまま遺され、そのフィナーレは、彼の遺稿も参考にして友人フランコ・アルファーノが補筆することとなった。しかし、アルファーノ補作の大部分は世界初演時の指揮者トスカニーニが冗長と見なしてカットしたため、その短縮した版が今日一般には公演で用いられている(もっとも、1980年代からは「アルファーノ完全版」の使用も散見される)。その他、1991年にはアメリカの作曲家ジャネット・マクガイアによるプッチーニ遺稿のより厳密な資料批判を経た補筆版、2001年にはルチアーノ・ベリオの独自稿による補筆版なども作成されている。
主な作品
オペラ(初演年)
- 『妖精ヴィッリ』1884年
- 『エドガール』1889年
- 『マノン・レスコー』1893年
- 『ラ・ボエーム』1896年(アリア<冷たい手を><私の名はミミ>)
- 『トスカ』1900年(アリア<歌に生き、恋に生き><星は光りぬ>)
- 『蝶々夫人』1904年(アリア<ある晴れた日に>)
- 『西部の娘』1910年
- 『つばめ』1917年
- 「三部作」1918年
- 『トゥーランドット』1926年(1924年作曲者の死により未完をアルファーノが補筆完成)(アリア<お聞きください、王子様><泣くなリュー><誰も寝てはならぬ>)
管弦楽曲
- 『交響的前奏曲 イ長調』
- 『交響的奇想曲』
- 『アダージェット』
声楽曲
- 『グローリア・ミサ』1880年
- 『レクイエム』1905年
器楽曲
- 『菊の花』(弦楽四重奏)
- 『スケルツォ イ短調』
- 『弦楽四重奏曲 ニ長調』
- 『フーガ』
- 『失意の女』
- 『ピアノ三重奏曲』(一部分のみ)