5月12日は 指揮者 ルドルフ・ケンペ 氏の命日
1976年65歳で死去
『Dvořák: Symphony No.9 in E Minor “From the New World”』
ドイツ人の指揮者。
1929年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者となる。当時、同楽団はブルーノ・ワルターが指揮者、シャルル・ミュンシュがコンサートマスター、フランツ・コンヴィチュニーが首席ヴィオラ奏者だった。1935年、ケムニッツとヴァイマルの歌劇場指揮者。1950年、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督。1952-1954年、ショルティの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督。1954年、渡米してニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者。1956年、病気のため一時活動を中断。1960年、バイロイト音楽祭に初登場、1963年まで4年間『ニーベルングの指輪』を指揮。1961年、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者。トーマス・ビーチャムの遺志により、残されたオーケストラを支えるも、楽団が「ロイヤル」の称号返上を余儀なくされ、運営困難となって1963年に退任。しかし、オーケストラは1966年に再び「ロイヤル」の称号を得てケンペを迎え入れた。ケンペは1975年にBBC交響楽団に招かれるまでこの地位にあった。1965年-1972年、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団首席指揮者。1967年、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者。任期中の1972年、ミュンヘン・オリンピックでのテロ事件による犠牲者を悼む集会が会期中にスタジアムで行なわれ、ケンペ指揮のミュンヘン・フィルが「英雄」第二楽章を演奏し、映像が世界に中継された。1975年、BBC交響楽団の常任指揮者を兼任。1976年、チューリッヒにて急逝(肝臓癌)。